100辞書・辞典一括検索

JLogos

10

神谷神社
【かんだにじんじゃ】


坂出(さかいで)市神谷町にある神社。延喜式内社。旧郷社。祭神は火結命・奥津彦命・奥津姫命。かみたに神社ともいう。五色台南西の,神々が集い遊ぶとされる西向きの谷に鎮座する。裏山に磐座があり,付近からは弥生時代の石器も出土している。地形から水神を祀ったとも考えられる。「御領分中宮由来」は五社大明神として,天長年間の創祀を伝える(新編香川叢書)。一方,社伝では弘仁3年空海の伯父阿刀宿禰大足が社殿を造営したと伝える。また元来清滝の社があって弘仁年間に春日四社を勧請合祀し,五社大明神と称したともいう。今も春日四神を相殿に祀る。貞観7年10月9日従五位上に,同17年5月27日には「神谷天神」として正五位下に昇叙した(三代実録)。「延喜式」神名帳阿野(あや)郡条に「神谷神社」と見える。本殿は鎌倉期の建築。大正8年の修理の際,「正一位神谷大明神御宝殿 建保七年歳次己卯二月十日丁未始之 惣官散位刑部宿禰正長」と記された化粧棟木を発見した。後世の部分的補修はあるが,建造年代の明らかな三間社流造りとしては,わが国最古で国宝に指定されている。明応5年2月22日付の「神谷神社法楽連歌」によると,讃岐守護代家の安富元家・元治父子とともに,阿野郡北条を支配した香西元資をはじめ近在の武将・神官・僧侶とみられる者が名を連ねており,当時の崇敬がうかがえる(新編香川叢書)。これは県内に現存する最古の連歌である。近世には神谷村の産土神で,春日四社と荒神宮1社で五社明神と称していたという(金毘羅参詣名所図会)。明治維新後郷社に列格。社蔵の木造随身立像は国重文。像高125cmの欅材寄木造り,阿吽一対で,ともに巾子冠をいただき,狩衣をつけ沓をはいている。前に出した両腕はものを持った形である。彩色は削落しているが,鎌倉前期の奈良仏師の作とみられる。ほかにも社宝は多く,経幢と思われる石柱,七重石塔2基,永禄11年をはじめとする11点の棟札,舞楽面,鉾などの武器,伝細川清氏奉納扁額,鎌倉期書写の大般若経600巻などがある。例祭は10月10・11日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198315