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木熊野神社
【きくまのじんじゃ】


善通寺市中村町宮東にある神社。旧郷社。伊邪那美命・速玉男命・事解男命を祀る。「なぎの宮」ともいう。「全讃史」に,旧多度郡仲村城主行司貞房が熊野十二所権現を創祀するとあり,行司貞房は仲の郡司で元暦年間には源氏に味方したという(讃州府志)。仲行事貞房は,確かに「吾妻鏡」元暦元年9月19日条所収の讃岐国御家人交名にもあげられているが,「仲村城」云々については,確かなことではない。天喜4年12月5日付讃岐国善通寺田畠地子支配状案には,「証誠大行事・大麻大明神・雲気明神・塔立明神・蕪津明神」の五社明神が善通寺の鎮守として記され,このうち筆頭の証誠大行事は紀伊国熊野本宮大社の主神であり,ここでは当社にあたる。善通寺市内には木熊野神社が,当社を含め4社あり,いずれも弘仁年間に空海が熊野十二社権現を勧請したと伝える。鎌倉末期から室町期におびただしい熊野先達が讃岐に入っており(熊野那智大社文書),当社はその重要な拠点だったのであろう。また中世における児島五流の動きもみる必要があろうが詳しくわかっていない。享保元年・天明6年に社殿が改築され,別当は甲山寺である。明治初年木熊野神社と改称。境内には,紀州より移植したという梛の木約140本が群生し,社叢は県天然記念物。10月の大祭時には御幸祭という特殊神事があり,これも県の無形民俗文化財である。神幸の行列が頭屋から出ること,神輿の御神体が前年収穫の玄米であること,社前の清流で祭具と頭家・神主・供奉の人々の身を清める(潮川神事)こと等,古い農耕儀礼の形を残している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198324