100辞書・辞典一括検索

JLogos

10

城山神社
【きやまじんじゃ】


坂出(さかいで)市府中町にある神社。延喜式内名神大社。旧県社。祭神は神櫛別命(神櫛王)。城山さんが通称。標高462mの城山の東麓に所在する。社伝によると,神櫛王は南海の大魚を誅討したのち城山に住み,死後明神原に祀られたという。城山山頂付近は城山遺跡と呼ばれて旧石器時代の石器・弥生式土器・土師器・須恵器の出土や磐座があり,原始から古代にかけての祭祀の要地と考えられる。また史料には残らないが,典型的な古代の朝鮮式山城もある。さらに眼下に綾川を一望できる標高約160mの台地である明神原には安山岩巨石が群在し,銅鐸や弥生式土器・石器も出土しており,原始的祭祀の存在が想定される。祭神の神櫛王は景行天皇第4皇子で讃岐国造の始祖とされており(日本書紀景行天皇4年2月条・先代旧事本紀),当社は讃岐国造が奉斎した神社と考えられる。律令体制下,城山の東麓,現在の坂出市府中町に讃岐国府が設定されると,国府の背後に位置するようになった当社は,旧来の信仰の上に国府の鎮護神としても崇拝されたと思われる。貞観元年11月7日に従五位下,同7年10月9日には讃岐国内の諸神とともに従五位上に昇叙した(三代実録)。「延喜式」神名帳阿野(あや)郡条に「城山神社〈名神大〉」と見える。仁和4年5月6日菅原道真は讃岐守として旱魃に苦しむ州民のために雨を当社の神に祈願。「菅家文草」に「城山の神を祭る文」と題する祭文が収められている。この祭文の中で当社は「城中数社茲社尤霊」と表現され,七日七夜の満願の日から3日間雨が降り,歓喜した農民は道真と当社に感謝して踊りくるい,社殿も造営したという。南北朝期の貞治元年,足利義詮の執事細川清氏は白峰山麓の高屋城で再起を図ったが,細川頼之に攻められ敗死した。この合戦で当社は焼失し,神体だけを旧国府に近い印鑰の地に移し,小社を建てて印鑰大明神と称した(讃岐国名勝図会)。その後現在地に移転。近世の祭田は1石8斗で(全讃史),雨の神・農業の神として敬われ,旱魃の際には旧地明神原で火をたいて踊る祈雨神事が行われた。明治初年郷社に列し,同36年県社に昇格。神櫛王の兄日本武尊を祀る大川郡白鳥町の白鳥神社を東の明神,当社を西の明神と俗称している。例祭は10月8・9日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198371