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五郷村
【ごごうむら】


(近代)明治23年~昭和30年の自治体名。はじめ豊田郡,明治32年からは三豊郡に所属。讃岐山脈西部の谷間に位置する。井関・海老済・内野々・田野々・有木の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。役場を井関に設置。村名は,合併5か村が古くから五箇(ケ)山と称されていたことによる。明治24年の戸数590・人口1,918(男1,002・女916),馬5,寺1,学校3,水車場4(徴発物件一覧)。大正9年の世帯数295・人口1,503(男750・女753)。ミカン栽培は明治20年頃藤川和之助が5畝試作したのがはじまりで,急傾斜地を開墾,昭和30年には約70町歩となり,大正6年五郷村果樹組合を結成,規模拡大と販路拡張に努めた(大野原町誌)。雲辺寺山の谷間に立地する純山村であるため,耕地不足の対策として北海道開拓移住が奨励され,明治40年頃10数家族が入植した。かつて,夏秋に数百頭の借耕牛が列をなした曼陀街道は,明治期~大正期には阿波方面への重要路であった。昭和23年から改修舗装に着手,完成まで20年を要した。大正10年私営バスが国鉄観音寺駅から井関(五郷井関)まで1日8往復運行。大正末期に温泉が海老済に発見され,昭和初期に五郷渓温泉旅館が開業されたので,バスも同所まで延長された。五郷山公園は,明治40年国有林4haの払下げを受け,昭和2年井関池堤防に1,000本余を植樹,その後遊園地として整備拡張が行われ,昭和52年五郷山体力づくりコース(グリーンコース)が工費1,300万円で建設された。明治20年五郷山部分林組合を制定,国有地の払下げを受け,収益配分は2公8民として,当時16か村の共同管理で,1,107ha余に数百万本のヒノキ・スギの植林に努め,第2次大戦後伐採して公共施設設備充実に多大に寄与した。昭和29年契約更新覚書を交換して現在に至る(部分林史)。豊稔池は大野原の水資源確保のため,日本でも珍しい試みとして,農林省指定多拱式石堰堤のダムを大正15年起工,堤高30m・堤長145m・貯水量159万3,000t,昭和5年竣工,稲作栽培に多大の貢献をした。明治25年井関簡易小学校は井関尋常小学校と改称,同年海老済尋常小学校・田野々尋常小学校が開校し3小学校を設置,大正3年3校が合併して,五郷小学校を創設,海老済・田野々に分教場を設置,大正9年高等料2年を併置して五郷尋常高等小学校と改称。世帯数・人口は昭和10年275・1,449,同25年337・1,919。同30年の面積26.2km(^2)。同年大野原町の一部となり,村制時の5大字は五郷を冠称して同町の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198530