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琴弾八幡宮
【ことひきはちまんぐう】


観音寺市観音寺町にある神社。旧県社。祭神は品陀和気尊・息長足姫命・玉依姫命。財田川右岸で,琴弾公園(国名勝)内の琴弾山山頂に所在する。応永23年の「七宝山八幡琴引宮縁起」によると,大宝3年宇佐八幡神の託宣で,神宮寺(現観音寺)の日証上人が社殿を造営したのが創祀。八幡神の乗った船から琴を弾く音が聞こえてきたので,琴弾の社名ができたという(香川叢書)。当社の別当寺が市名のもとともなった七宝山神恵院観音寺で,明治維新まで両者は密接な関係を有していた。菅原道真・源頼朝などの参詣を伝えるが,明確ではない。宝治2年10月,高野山正智院の高僧で,金剛峰寺と大伝法院の紛争に巻き込まれて讃岐に流された僧道範が「琴曳ト云宮」に参詣している(南海流浪記/群書18)。天正13年国守仙石秀久は中姫村のうちに社領50石を寄進,太刀も奉納した。また文禄元年には後陽成天皇の勅願で社前において異敵降伏の修法が行われている(弘化録/新編香川叢書)。後陽成天皇はほかに,宸翰の八幡大菩薩掛軸を奉納,貞享元年には二品尊証法親王が「琴弾八幡宮」の額を奉納している(現存)。延享2年丸亀藩主京極高矩が社殿を造営したという。中世後半以降は財田川の対岸に上市・下市が形成され,旧観音寺港を中心とした商業活動が盛んとなった。当社はそれにかかわる人々によって崇敬され,近世には壮大な社頭を誇っていた。山麓に一ノ鳥居・宿居・十王堂・下ノ庵,中腹に二ノ鳥居・中ノ庵・滝宮・風宮・天神社,山上には本殿のほかに高良社・住吉社・若宮権現社・大師堂・上ノ庵・鐘楼・九重石塔などがあり,末社は70を超えたという(金毘羅参詣名所図会・全讃史)。観音寺所蔵の絹本著色琴弾八幡本地仏像(鎌倉期,国重文)には,上段に飛雲に乗った来迎阿弥陀三尊,下段に壇上に立った釈迦三尊が描かれている。近郷8村の総氏神(全讃史)。四国霊場八十八か所第68番札所だったが(金毘羅参詣名所図会),明治維新で札所を離れて観音寺から独立。第68番札所は神恵院に移った。また観音寺の寺中七坊の1つ,和合院は還俗して当社家となった。明治維新後郷社に列し,昭和3年県社に昇格。10月14・15日の例祭には太鼓台が多く奉納され,大変なにぎわいをみせる。「七宝山八幡琴引宮縁起」は藤原実秋筆で将軍足利義持が花押を据えている。社頭あるいは近くの象が鼻からの瀬戸内海燧灘の眺望は絶景で,白砂青松・桜の名所の琴弾公園とともに市民の憩いの場となっている。旧観音寺町が氏子範囲。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198553