鷺田
【さぎた】

旧国名:讃岐
御坊川流域に位置し,北部は石清尾山塊,西部は浄願寺山・小山に囲まれ,南東は高松平野に向かって開ける。地名の由来については,砂潟が転訛したという説,坂田宿禰の子孫が居住していたことによるという説(新撰讃岐国風土記)がある。北西部は安山岩の積石塚で名高い石清尾山古墳群が密集し,猫塚・鏡塚の双方中円墳2基,石船塚,姫塚,北大塚,鶴尾神社4号墳などの前方後円墳9基,方墳1基,円墳10基以上がある。中でも鶴尾神社4号墳は伝世鏡の説をたてる資料として用いた方格規矩鏡の破損部分が出土したり,出土土器の形式から発生期古墳の解明に問題を投げかけている。この地域は秦氏の財力で開拓した地域と考えられ,古代条里制の遺構も三条などの地名に残されている。浄願寺山東山麓には坂田廃寺址があり,古瓦を出土した。平安中期には一代の高僧観賢僧正を出し,観興寺・観空寺跡などゆかりの仏閣がある。勅使の地名は,観賢僧正に紫衣を追贈するため朱雀天皇が派遣した勅使の宿泊した所に由来する。橋詰には,国司菅原道真がしばしば訪れた別荘橋詰館があったという。戦国期には長宗我部の侵入に抵抗した太田犬養が室山城に,豊臣秀吉軍を迎え撃って喜岡城で戦死した片山志摩俊秀が片山城に拠った。
【鷺田荘(中世)】 南北朝期に見える荘園名。
【鷺田村(近代)】 明治23年~昭和15年の香川郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7198634 |





