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志太張神社
【したはりじんじゃ】


大川郡志度町鴨部にある神社。延喜式内社。旧村社。祭神は天下春命。下張神社とも書き,古くは下張大明神といった。祭神の天下春命は「先代旧事本紀」天神本紀に八意思兼神の子で武蔵秩父国造等祖とあり,東国に多く祀られる神だが,当地との関係は未詳である。近くの南谷にある金森神社(祭神天村雲命,当社境外末社)とともに,当地の開拓神として崇敬篤いという。「全讃史」は「宝蔵院極楽寺記」を引いて,天長元年4月空海が石田の極楽寺を鴨部に移した際(現在大川郡長尾町東に所在),下張神を鎮守としたが,その創祀は未詳だと記している。「宝蔵院極楽寺記」とは「紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記」のことと考えられ,それには同年6月28日に鎮守として下張大明神を勧請したとある(香川叢書)。「日本紀略」延喜6年2月7日と同10年9月5日条で「讃岐国氏大神」が従五位下,従五位上に叙されているが,「神階記」延喜6年2月7日条には「氏大張神」とあり(続群3上),これを当社のことと考えることも可能である(新修香川県史)。「延喜式」神名帳寒川(さんがわ)郡条に「志太張神社」と見える。その後は荒廃し(全讃史),牛馬の守り神として崇敬されていたという(御領分中宮由来/新編香川叢書)。別当は宝蔵院(極楽寺)末の西芳寺だったが(同前),明治維新で廃寺となった。明治4年村社に列格。同43年社殿が造営されたが,その際本殿の床下から豊島石製の経筒(法華経内蔵)と石櫃(短刀・法華経内蔵)が発見され,そこにはともに正徳の年号が記されていた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198711