下市村
【しもいちむら】

旧国名:讃岐
(近世)江戸期~明治7年の村名。豊田郡のうち。坂本郷に属す。下市浦ともいう。財田川下流域の平地に位置する。享徳元年閏8月15日記の琴弾八幡宮放生会祭式配役記(香川叢書)に,「惣集の役者之事」として下市の四郎左衛門が小鼓の役をうけもっている。はじめ生駒氏領,寛永18年丸亀藩(山崎氏)領,万治元年丸亀藩(京極氏)領。村高は,「寛文4年高辻帳」の朱印高275石余・今高389石余,元禄年間416石余うち過半数が観音寺中への入作,「延享年間高辻帳」275石余(ほかに新田并改出30石余),「天保郷帳」482石余,「西讃府志」「旧高旧領」ともに416石余。元禄年間の家数130・人数708,加子6,船17。「西讃府志」によれば,村の広さは東西150間・南北106間,丸亀から6里10町,隣村は東に酒屋町,南に鍛冶分,西に中洲,北に寺家,耕地(反別)は37町余,うち畑1町余・屋敷34町余,貢租は米238石余・大麦1石余・小麦8斗余・大豆4石余,戸数172・人口570(男287・女283),牛2,神祠は荒神祠・弁天祠・崇徳天皇祠・蛭子祠・幢中明神祠,仏寺は浄土宗福聚山専念寺・禅宗高照山芦峰寺,橋1。明治4年丸亀県,同年香川県,同6年名東(みようとう)県に所属。同7年観音寺村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7198732 |