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白鳥神社
【しろとりじんじゃ】


大川郡白鳥町松原にある神社。旧県社。祭神は日本武尊。両道入姫命・弟橘姫命を相殿に祀る。海に面した松原の中にある。各地に分布する白鳥伝承の神社で,「日本書紀」景行天皇40年条に伊勢国能褒野で崩じた日本武尊の霊が白鳥となり,大和琴弾原・河内旧市邑に飛来したことが見える。社伝ではその後当地三里松原にとどまったので,仁徳天皇の時代に讃岐国造に命じて祠を建ててこれを祀ったという(全讃史)。寛永20年の「白鳥神社記」も同様の縁起を載せ,屋島の合戦で源義経に神験をあらわしたことが記される(香川叢書)。そのため武神としても崇敬され,八幡神との説も生まれて白鳥八幡宮と呼ばれることもあったという(全讃史)。「御領分中宮由来」には,応永年間に東讃の有力豪族安富安芸守が再興し,鶴内八幡と称したとある(新編香川叢書)。寛永17年に生駒高俊が改易された際の讃岐国中寺社領高書上写には「高弐拾石 白鳥八幡」と見える(新編香川叢書)。寛永19年松平氏が藩主として入封すると,その神社政策のために優遇された。寛文4年松平頼重が社殿を修築し,同5年に朱印社領200石を寄進,白鳥大神宮と改称した。同時に卜部家の直系卜部兼古(猪熊千倉)が神職として京都より迎えられた(御領分中宮由来・寺社記/新編香川叢書)。松平氏代々の寄進になる石灯籠は本殿前に立ち並び,この松平氏の庇護により,東讃では最もにぎわいをみせた。「讃岐国名勝図会」には「阿波街道にて旅宿多し。四月の市立,九月の神事ごとに戯場ありて,近村はいふもさらなり。他邦より参詣の人多くて繁栄の地なり」とある。明治5年県社に列格。例祭は10月4~8日で,卜部家から出た太々神楽や夏越神事・御火焚神事という特殊神事も伝える。青江正恒銘の太刀(鎌倉期)は国重文。また例祭に奉納される虎頭虎体の獅子舞は県無形民俗文化財。祭神の関係から,坂出(さかいで)市の城山神社を西の明神,当社を東の明神ともいう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198811