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白峰宮
【しろみねぐう】


坂出(さかいで)市西庄町にある神社。旧県社。祭神は崇徳上皇。古くは崇徳天皇社と称し,現在でも「天皇さん」が通称。崇徳上皇が保元の乱に敗れて讃岐に流され,国衙(坂出市府中町)近くの鼓岡に行宮を造営した。長寛2年8月崩御し,京都に奏聞する間,遺体を当地の野沢井に奉安した。野沢井は八十場(弥蘇場)の水とも称し,夏も冷たく霊泉とされる。9月に宣下により白峰山に葬り白峰陵を築き,翌10月になって所縁の八十場に社殿を造営して上皇の霊を奉斎したのが創祀である。安元5年高倉天皇から讃岐国の租稲1,000束を賜り,建久4年源頼朝がこれを安堵。さらに,後嵯峨天皇は社殿を再営した上宸筆の願文を捧げ,西庄のうちの免高250石を寄進したという。「玉葉」建久2年閏12月20日・22日・28日条等によれば,讃岐国にはこれより先,崇徳院御影堂がおかれ田園が寄せられていたが,このとき改めて,その所領安堵のための官符発給のことが議せられている。白峰寺(坂出市青海町)境内に崇徳上皇の頓証菩提を弔うために建てられた頓証寺とともに朝廷の庇護が厚かった。生駒高俊改易時の讃岐国中寺社領高書上写には「西ノ庄天王」として生駒氏からも4石5斗の社領が寄進され(覚城院文書/新編香川叢書),以後も継続された(寺社記/新編香川叢書)。近世には西庄村の産土神で(金毘羅参詣名所図会),明の宮とも称したという(讃岐国名勝図会)。別当は四国八十八か所霊場第79番札所の金華山摩尼珠院が務めたが(寺社記/新編香川叢書,金毘羅参詣名所図会),明治維新で廃寺となった。明治5年県社に列格。崇徳上皇宸筆と伝える無量寿経・同短冊,松平頼重筆普門品経,伏見宮貞清親王筆短冊など社宝は多い。なお摩尼珠院跡には林田町にあった高照院が移され,摩尼珠院の法灯を継いで第79番札所となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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