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菅生神社
【すがうじんじゃ】


三豊郡山本町辻にある神社。旧郷社。菅生八幡宮と福生八幡宮の2社からなり,菅生八幡宮は邇々杵命・天種子命・天押雲命,福生八幡宮は品陀和気命・息長帯媛命・玉依比女命をそれぞれ祭神とする。そのため両八幡宮ともいう。社伝によれば,嘉禄2年香西資村が河内国菅生神(菅生神社,大阪府南河内郡美原町)の神託により勧請したのが菅生八幡宮で,当地に鎮座する以前に仮殿を造営した場所が雁渡宮(観音寺市古川町)だという。また福生八幡宮は天福元年に豊前国宇佐から八幡神を勧請したのが創祀だといわれる。いずれも鎌倉期の勧請と社伝はいうが,付近には古墳も多く,土地の人々の信奉する神はすでに祀られていたと考えられる。大阪の菅生神社は河内国丹比郡菅生郷を本貫としていた菅生氏の祖神を祀ったものといわれており,当地の菅生八幡宮も菅生氏の一族が祀ったものかもしれない。当地山本荘は,保延3年4月日付検校光清・別当任清連署譲状や嘉禎3年5月日付検校宗清処分状などによると,平安末期に石清水八幡宮領となっており(石清水文書1/大日古),中世以降従来の神社に八幡神が合祀されたと考えるのも可能である。戦国期には近くの高井城主高井下総守が菅生八幡宮を氏神として崇敬したと伝える。しかし高井下総守朝鮮出兵中,息子の病気平癒を祈願したものの成就せず,これに憤慨して当地に移転させてしまったという(西讃府志)。近世には辻・河内(以上,現山本町),古川・中田井・新田・原・池之尻(以上,現観音寺市)7村の産土神だった。正徳2年社殿を改築して,両社造りの1社とした。別当は河内村の真言宗薬王寺で,壺宝山東福坊と号す(西讃府志)。明治5年郷社に列格。明治以降は2社あわせて社名を菅生神社と改称している。6,000坪を超える社叢は暖温帯性の常緑広葉樹林で構成されており(国天然記念物),特にカンザブロウノキは県下では当社だけで確認されている。例祭は10月8・9日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198879