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高屋神社
【たかやじんじゃ】


観音寺市高屋町にある神社。延喜式内社。旧県社。祭神は瓊瓊杵尊。保食神・木花咲夜比女命を相殿に祀る。標高400mの稲積山山頂に所在する。稲積山は稲を積んだ形をしており,稲積さんと呼ばれる。そのためこの呼称で当社を指す場合も多く,古くは稲積明神・高稲積大明神とも呼ばれた。創祀年代は未詳だが,山麓の高屋・室本地区は,縄文時代の貝塚をはじめ,弥生時代の住居址・土器,大小の古墳,奈良期建立とされる寺院址,条里制遺構等,原始・古代の遺構・遺物が豊富である。木の葉文土器の出土もあり,瀬戸内海を東進する稲作文化が,讃岐地方ではまずこの地に上陸し,財田川沿いに内陸に伝播したと推測できる。飯盛山・稲積山などに飯の神を祀る事例は多く,当社もその1つとして農業神を祀ったものであろう。飯を丸く盛った形の飯盛山などに農業神を祀った例としては,「風土記」に播磨国揖保郡の飯盛山,陸奥国白川郡の飯豊山などが見える。貞観9年5月17日「高家神」として従五位下に叙され(三代実録),「延喜式」神名帳苅田郡条に「高屋神社」と見えている。近世には丸亀藩主京極氏の崇敬が篤く,京極高照奉納の扁額が現存する。本来は山上にあったが(そこを高稲積という),慶長年間に中腹へ移り(そこを中稲積という),宝永年間に山麓の小丘上へ移転(そこを下稲積という)。天保2年に再び高稲積の地へ遷座したという。現在もそれぞれ上宮・中宮・下宮と称されている。慶長8年・延宝3年・寛保3年・天明2年・享和3年・天保15年に社殿が造営されている(棟札)。別当は七宝山羅漢寺と号す真言宗の蓮光院で,阿弥陀如来を本尊とし,五百羅漢を安置していた(西讃府志)。明治5年郷社に列し,昭和11年県社に昇格。なお中宮は明治5年に姿を消したが,下宮は山麓遥拝所として参詣者は多い。中宮と上宮の間の旧参道には,中世の土器片が出土する磐座が残っている。また上宮の本殿背後には祭祀遺跡を思わせる巨石が多い。4月の大祭「稲積さん」は,農家をはじめ近郊の人々で大変にぎわう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198997