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詫間港
【たくまこう】


県北西端,三豊郡詫間町北部にある地方港湾。管理は県。天然の港湾。港域は,東は松崎・水出から西は香田沖まで,高谷半島を中央に三野津湾と詫間湾を範囲とする。三崎半島や粟島・志々島など自然の防波堤に囲まれた天然の良港として,古くから知られる。日露戦争などの出征港として,また第2次大戦中は海軍航空隊が置かれたり,製塩業や造船業などの地場産業に伴う船舶港として栄えてきた。戦後は,町の経済の中心であった製塩業が衰退すると町は三野津湾に着目,町発展の柱に詫間港の開発と埋立てによる工場誘致を据え,昭和28年から総合的計画に基づいて浦浜地区2万m(^2)の埋立てと港湾施設の整備を開始した。昭和40年,合板ベニヤ板製造の企業誘致に伴い,原料の木材を輸入することになり,昭和45年,県下で3番目(坂出(さかいで)港・高松港に次ぐ)の貿易港の指定を受け,同46年には木材輸入港,翌47年には木材以外の輸入港となった。町は第2次開発計画を昭和43年から同47年に実施して水面貯木場66万m(^2)と経面埋立地45万m(^2)が完成。三野津湾内に短冊形に造成された経面埋立地には,合板・食品・鉄鋼などの関連企業が進出,昭和48年には中央木材工業団地が完成した。年間100隻以上の入港船に対応して,昭和56年に-7.5m岸壁もでき,航路の浚渫も行い,同57年8月には開港以来1,627隻目の外国貿易船が着岸,また5,000t級の船が直接岸壁に横付け荷役できるようになった。当港は昭和57年度には入港外国貿易船161隻,総t数92万5,446t,うち木材輸入量58万t(南洋材37万t,米材21万t)。南洋材はマレーシア,インドネシアから輸入のラワン材である。また,韓国から鉄鋼の輸入もある。町は松崎・水出地区に49万m(^2)の埋立てを昭和53年から着工,同60年完成予定であり,また,詫間港開発計画の一環として,廃止塩田(現在海浜ゴルフ場)北に,昭和57年から松下地区埋立地39万m(^2)の造成を始め,大手の鋼管メーカーの丸一鋼管の進出も決定し,昭和61年完成予定。遠浅の三野津湾も当港の整備と経面・水出・松下の埋立て工業地区をもつ県下2番目(坂出市番の州工業地帯に次ぐ)の詫間臨海工業地帯に発展しつつある。毎年8月には詫間港まつりが盛大に行われ,塩田の町から工業と貿易の町へと,まさに当港は町の象徴であり,発展の原動力的存在である。「太平記」には,南北朝の争乱に,後醍醐天皇の皇子,宗良親王が元弘2年,岡山県下津井港から詫間に配流されたと記されている。その頃の三野津湾は,現在よりも海岸線は陸地に奥深く入っており,現在の当港の海岸は海底であった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199004