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多度津港
【たどつこう】


仲多度郡多度津町にある地方港湾。管理は県。大化改新および大宝律令による国・郡・里などの地方行政組織の確立以来,周辺は多度郡における津,つまり港としての機能を次第につけながら発展してきた。天保5年多度津藩主京極高琢が構築する以前は,町の中央部を貫流する桜川付近に船の停泊地があり,特に旧暦正月・10月の金毘羅大権現(金刀比羅宮)大祭時には豊津橋付近まで両岸は船で一杯になりにぎわいをみせた。参詣者はここから琴平まで歩いたのである。現在も当時乗降船に使用した石段が一部残る。多度津藩5代の京極高琢は町の発展は港をつくるよりほかはないと考え工事に着手,幾多の苦難を克服して4年余の歳月と6,200余両の巨費を投じ,ついに天保9年に完成させた。当時の記録では「東方突堤長さ百十八間北より折れて西に向う。西突堤の長さ七十間東北に延ぶ。中央に百十間の防波堤を設けその西端二ケ所に港門を設く。この堤防上の幅何れも三間半,港の内方百六十間,水深二仭三尺にして,この工費は実に六千二百余両」とあり,当時としては大工事であったことがうかがえる。この港の完成によって中国・九州・阪神,遠くは江戸方面から金毘羅大権現・善通寺参詣の船客や諸国の物資の集散地となり,瀬戸内海屈指の良港となった。その後も改修を重ねたが,特に明治40年頃からは町営事業として桟橋工事・突堤築造・浚渫と埋立工事等を行い,明治43年8月17日に国は当港の重要性を認め,高松港に次いで当時の内務省から指定港湾に指定された。日露戦争の際には善通寺師団の兵士が乗船し,国定教科書にも登載された「一太郎やーい」の一太郎が乗船・出征したのもこの港である(多度津町史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199035