田野々
【たのの】

旧国名:讃岐
古くは比田とも称した。柞田(くにた)川の上流域,北は高尾山,南は箱峰・金見山などに囲まれた谷合に位置する。田野々とは「田の野」の意であろうが(西讃府志),鎌倉の落人比(飛)田左衛門・有木左衛門・井関左衛門・川内兵衛・関谷兵衛の5人が当地付近一帯に来住,それぞれの土地を開いて村をおこしたという開拓伝承がある。開拓者について,地内の法泉寺縁起によれば,鎌倉の人藤田美多左衛門尉常清なる者が,親鸞上人の直弟子となり,四国にきて雲辺寺(徳島県池田町)に参籠,7日間祈願した。満願の6月8日(三浦の乱の日に当たる)朝,観世音菩薩が一童子になって現れ,常清を4kmほど入った谷間の朽ち荒れた庵に案内した。そこで常清はこの庵に入り,名を浄信と改め,法泉寺の基礎を築いたという。庵のあった地が現本堂の地で土禁皇(ときんこう)と今にいう。浄信は正元元年9月5日入寂,遺骸は塚を造って葬り,側に平家の守護神妙見菩薩を祀った。現在は鎌倉大明神として当地の産土神になっている。縁起にいう親鸞の弟子,鎌倉の人,四国に来地,6月8日,そして平家の武将,これらの伝えは宝治元年6月三浦の乱にくみした相馬九郎常清の事跡に合致するが未詳。法泉寺には蓮如上人筆の五字名号も伝わる。寺の東2kmには伝空海修行の跡地,同寺の北2.7kmの竜王山(高尾山の別称)の山頂に高鈴木竜王の小祠がある。代々同寺が祀っており,毎年6月5日竜王神の祭礼には村役人・百姓が酒・米を供えて丁重に祀った。また,旱魃の雨乞にも必ず酒・米を供え三部妙典を読誦するが,この雨乞の際胡蝶と小亀が出て不思議な振舞いをすると伝わっている。なお,戦国末期薩摩法師が伝えたという田野々雨乞踊り(県無形民俗文化財)は,けいご(歌い手)を中心にたすきがけ姿の締め太鼓,花笠の子供,編笠姿の大人がそれぞれ輪をつくって踊る。
【田野々村(近世)】 江戸期~明治23年の村名。
【田野々(近代)】 明治23年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7199046 |





