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玉藻公園
【たまもこうえん】


高松市北部,玉藻町にある市立公園。面積7.9ha。天正15年に讃岐15万石を領した生駒親正は,高松城の築城に取りかかり同18年完成した。一帯は当時野(箆)原荘と呼ぶ低湿地で,八輪島という砂州状の上に築城された。生駒家4代54年,続いて寛永19年から松平家高松藩12万石,11代228年の居城となった。当公園はこの高松城跡地のほぼ中濠の範囲内をいう。明治23年国が旧藩主松平家へ全城域約15万m(^2)を5,000円で払い下げたが,その後,外濠など数度にわたって手放され残った7万9,000m(^2)を昭和29年松平公益会から高松市が購入し,翌30年市立公園として公開した。讃岐の枕言葉ともいえる玉藻の名を冠して玉藻公園という。古くから「讃州さぬきの高松さまの城がみえます波の上」と詠われた水城で,三重の濠に囲まれていた。その後外濠はすべて,中濠は一部を残して埋め立てられ,街路や商店街となり,さらに海岸部の埋立ても進み,国鉄・関西汽船・各種フェリーの乗降用などの港湾施設やビルなどが立ち並び,歌の趣はまったくなくなった。城も海上からよく見えた三重五層を誇る天守閣が明治17年に取り壊され,現在その跡に藩祖頼重を祀る玉藻廟がある。かつて15の櫓があったが,現在は月見櫓・艮櫓・続櫓・水手御門の4棟が残存し,国重文に指定されている。現在入口は東西2つある。正門は東から旭橋を渡って旭門を通り,桜の馬場,桜門跡を入って三の丸に至る。一方西の入口は国鉄高松駅や琴電高松築港駅に近く,利用者が多い。入るとすぐ二の丸跡に入り,そこから右へ廊下橋を通って天守曲輪に通じる。またまっすぐに三の丸へも通じる。三の丸には現在中心の建物である披雲閣があり,旧領主の居館を大正6年改築した木造平屋,一部2階建ての建物で,今上天皇の宿泊所に2度使用された由緒あるもので,松と枯山水の純日本式庭園が見事である。披雲閣は建坪1,706m(^2),最大の部屋は142畳もあるが,市の施設として低料金で,茶道・華道・商品展示会・講演など各種催し事に絶えることなく使用されている。しかし木造のため老朽化も否めず,雨漏りなどの修理に追われる。屋外では,桜の馬場や二の丸跡などの広場を中心に春の花見,5月5日の子供祭り,園芸展,夏の高松祭り特設会場,秋の菊花展などが催される。年間入場者数35万5,000人(昭和57年)に達する。入場料金20円。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199056