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富田神社
【とみたじんじゃ】


大川郡大川町富田中にある神社。旧郷社。祭神は品陀和気命・帯仲彦命・息長帯日売命。明治期までは寒川神社,寒川八幡宮などと称していた。富田中には5世紀頃の前方後円墳で,四国最大規模の富田茶臼山古墳があり,「延喜式」兵部省式の讃岐国駅家松本駅もこの付近に比定され,古代から有力豪族の存在が知られるとともに,早くから開けた地域と考えられる。当社も早くから創祀されていたと考えられ,社伝では,相模国高座郡寒川神社を分祀したので寒川神社といい,1郡の総鎮守としたという。また「御領分中宮由来」によると,貞観年間に富田弥太郎則朝という人物が鳩峰から勧請して1郷の氏神としたと伝える(新編香川叢書)。中世末頃の「紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記」には富田八幡として,天暦元年・寛治4年・治承2年・建仁3年・文永6年・永仁元年・永享10年の社殿造営が記されている(香川叢書)。永禄年間雨滝城主安富又三郎が再興し(御領分中宮由来),安富氏の没落後はその家臣六車左衛門太夫宗湛の子孫が代々神官となった。別当は「紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記」には神霊寺と見え,「全讃史」および「御領分中寺々由来」(新編香川叢書)には本覚寺とある。本覚寺は貞観年間の創祀と伝えるが,明治維新で廃寺となった。明治5年それまでの寒川八幡宮を富田神社と改称し,郷社に列格。例祭は10月15日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199210