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東前田
【ひがしまえだ】


旧国名:讃岐

北東部の平尾山・岩滝山・滝本山・茶臼山の峰々から,南は芳尾山(芳岡山),西はほぼ,新川支流吉田川までの間のやや南東よりの一帯に立地する。前田の由来は,当地が古くから上質米の産地として知られ,肥沃な稲田があることから起こったという(讃岐国神社考)。また戦国期,前田氏がこの地に城をつくり,前田城と名づけ,その城の名が地名となったともいわれる(高松地名史話)。そのうち南東よりの地域一帯が,東前田である。讃岐(東讃)の国造の始祖,神櫛王(景行天皇第17皇子)の最初の居所という根子堂(ねこんどう)(根子とは,天皇に対する尊称)をはじめ,中臣宮処氏が県主となっていた頃の住居跡という矢来之内,舒明天皇が伊予路からの帰途,滞在した行宮跡という大縄(大縄張りの略)の地名がある。古墳は,大部分が乱掘・破壊されて,わずかに平尾山麓の南に面した字東畑に,横穴式の潮満塚など,3つの古墳と,末期の古墳群があるほか,勾玉・管玉・小古鏡を出土した芳尾山墳址が知られている(木田郡誌)。また,山田郡最古の寺,宝寿寺跡といわれる堂床には,土壇および4つの自然石の礎石と重弧文,その他の奈良期の古瓦が出ている。
東前田村(近世)】 江戸中期~明治23年の村名。
東前田(近代)】 明治23年~昭和31年の前田村の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199540