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藤尾八幡神社
【ふじおはちまんじんじゃ】


高松市西植田町にある神社。旧郷社。祭神は応神天皇。藤尾さんの名で呼ばれる。社伝では養老年間行基の創祀,「讃岐国名勝図会」は天平2年の勧請,「全讃史」「三代物語」は用明天皇の時に,古くから山田郡に勢力をもっていた植田氏の創祀と,伝えることは一致しない。正暦元年と延久2年に植田氏が社殿を造営し,保元2年植田氏一族の神内城主神内右近政成が再建して神鏡を奉納したと伝え,植田氏と密接な関係を保っていた。文暦年間にも戸田山城主植田氏が再建し,応安年間には管領細川頼之が社領として20貫文を寄進したという。文亀3年社殿を焼失したが,永正年間に神内城主神内重次が再建している(讃岐国名勝図会)。天正年間に植田美濃守が20石を寄進したというが,寛永17年生駒高俊改易時の讃岐国中寺社領高書上写には「高弐石四斗弐升 植田ノ八幡」と見える(覚城院文書/新編香川叢書)。その後の松平氏も社領を安堵している(讃岐国名勝図会)。これ以前,寛永10年に神内太兵衛・平石佐右衛門・溝淵助太夫・谷重兵衛らが社殿を造営(棟札)。古くは旧山田郡の親神といわれ,宇佐神社(高松市香西本町)・桜八幡神社(木田郡庵治町)・八幡神社(高松市三谷町)などの7社は当社の分霊を祀るとされる。別当は真言宗の蓮華院,蓮華院は千手観音を本尊とし,天正2年に植田美濃守が氏寺としたというが(讃岐国名勝図会),明治維新の際廃寺となった。明治4年郷社に列格。「日本紀略」延喜6年2月7日条で従五位下に叙された「連岳神」を当社に比定する説もある(讃岐国官社考証)。例祭は9月23日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199628