100辞書・辞典一括検索

JLogos

12

本島港
【ほんじまこう】


丸亀市の本島南岸にある地方港湾。管理は県。潮流の複雑な本島周辺の島民が,古代から航海術に優れていたことは,「全讃史」に「昔讃留霊王封を受くるの日,まさに部内を按行せんとして,いまだ路の向うところを知らず,たちまち小烏あり前に当って飛ぶ。王欣然としてこれに従いて順道を得たり。数日にして巡行し終る。その烏泊島に向って去る。よって祠を泊島に立ててこれを祭り」とあることからもうかがえる。泊島は現在の本島を指し,本島の泊り浦に木烏神社があり,讃留霊王を先導した小烏を祀る。小烏は舟夫のことで,古くから本島周辺では船乗りが活躍していたことを物語る。当港は北西を本島,南を牛島に囲まれ,冬の季節風が防げること,島影に位置することから,古代から海賊の出没した海域である。近世は豊臣秀吉から朱印状を受けて以来,幕府の御用船方となった根拠地でもある。港の築堤年は不詳。昭和26年3月10日,港湾調査規則による乙種港湾,同36年3月28日,公有水面埋立法による乙種港湾,同39年4月20日,港湾法により丸亀市管理港湾となる。港域は,島東部の新在家港,南東部の甲生港,南部の泊港,南西部の小坂港,牛島北部の里浦港を含む広い範囲であったが,昭和39年9月12日,備讃瀬戸航路の西行き航路が本島と牛島の間に新設されたことにより,当港は甲生・泊・小坂の3港を指すようになった。なかでも泊港が本島の中心をなす港で,木烏神社のすぐ南に船着場(突堤40m)があったが,船の大型化,フェリー化に備え,昭和42年すぐ東にあるジョケンボ鼻を東に回った所に南側防波堤160m,東側防波堤122m,水深4mの船溜りの建設工事が着手され,昭和46年完成した。港湾面積は約44万5,000m(^2),大型係船岸2バース93m,小型係船岸341mをもつ。本島泊港は本島の玄関となり,丸亀と下津井を結ぶ関西急行フェリーが朝6時30分から夕方18時35分まで上下18便が寄港する。また牛島に小・中学校がないため,牛島からの児童・生徒を本島へ運ぶスクールボートが往復するほか本島汽船(本島丸41t)が泊―小坂―里―小浦―丸亀を朝夕2往復就航する。昭和55年の当港利用状況は,入港船舶約1万隻,船舶乗降人員約21万人,海上出入貨物約5万6,000tで,昭和57年は約1万2,000隻,12万8,000人の利用であった。泊港は海水浴・キャンプ行楽客の乗降,島民の生活物資取扱港として重要な任務を果たしている。ほかの甲生港・小坂港は漁港としての性格が強い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199725