百相城跡
【もまいじょうせき】

高松市仏生山町百相本村に所在する河西氏の居館跡。百合城とも書き,「もあいじょう」ともいう。百相の地はその昔香川郡百相郷(和名抄),モモナミと読まれていたが,百合の字があてられてモアイ・モマイになったという(讃州府志)。平池(べけ)(香川郡香川町浅野)北方750m余の平地。本村に城墟(しろあと),その北隣に鵜殿口,南隣に竹ノ内の字名が残る。「東讃郡村免名録」百相村の項では,城墟のあたりが城,鵜殿口がヲトノ口となっており,ほかに矢倉・馬場などの小字名が見える。竹ノ内は館の内が転化したものかもしれない。「全讃史」に「百合城 百合村に在り今の別所八郎兵衛の宅は其迹也」とあるように,城跡には江戸期に香川郡東部8か村を取り仕切っていた大庄屋の別所氏が屋敷を構えていた。別所氏の歴代中,九兵衛包好が天明3年の飢饉救済に奔走,自家の貯蓄米を郡内に分配し救荒の備えとするなど大いに治績をあげている(古今讃岐名勝図絵)。当時,別所屋敷は周囲に堀を巡らした1町四方の広さであったと伝えられる。本村城墟のほぼ中央にあたる屋敷跡には民家が立て込み,東側の地割にかなりな改変があるが,西側には幅2m余の堀跡と石垣の一部が残存する。すぐ北側に百相城墟碑がたち,西50mほどに別所氏ゆかりの祠が祀られている。城主河西氏の来歴は不詳。文治元年源平屋島の戦で源氏に味方した河西左衛門輝貞の子孫,河西三郎左衛門がいたという(全讃史)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7199951 |





