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山北八幡神社
【やまのきたはちまんじんじゃ】


丸亀市山北町道上にある神社。旧郷社。祭神は,品陀和気尊・息長帯姫命・玉依姫命。雨宮ともいう。城下町丸亀の産土神である。社伝では,当初船山に鎮座し船山大明神と呼ばれたが,船山が亀山に改称すると亀山大明神と称したという。「三代実録」元慶5年11月14日条に見える,従五位下の船山神は当社ともいわれている。社伝によれば,旧地は神功皇后が三韓出兵の帰途に仮泊した所で,宝亀2年に国司藤原楓麿が社殿を造営したという。道隆寺温故記および「多度津公御領分寺社縁起」の道隆寺の条には,延久5年裕善法印が勅を奉じて当社ほか4所に八幡宮を創建したといい,永仁5年・貞治3年の社殿造営記録もある(新編香川叢書)。旧社地は現在の丸亀市役所付近であったが(丸亀の歴史散歩),慶長2年讃岐国主生駒親正父子が西讃の拠点として亀山に築城(現丸亀城)するため,当社は柞原郷の現在地に移り,社領16石の寄進を受けた。この地が亀山の南にありながら山北とするのは,当社号からついた地名だからである。次の城主山崎氏は社殿を修築し,丸亀藩京極氏の崇敬も篤い(全讃史)。京極高中寄進の狩野洞淋筆の絵をはじめ伝左甚五郎作獅子頭ほか社宝は多い。安政4年に奉納された京極侯参勤交代船揃絵馬は県有形民俗文化財。「全讃史」に祭田60石と別当福寿院の名が見える。明治5年郷社に列した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7200011