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栗林公園
【りつりんこうえん】


高松市栗林町1丁目にある県立公園。総面積74.87ha。国特別名勝。小堀遠州流の回遊式大名庭園の典型といわれ,日本三大名園の上をいくものという。紫雲山東麓にあり,紫雲山を借景として6大水局(西湖・南湖・北湖・涵翠池・芙蓉沼・潺湲池)および飛来峰・小普陀・飛猿巌・会仙巌・芙蓉峰など13大山坡を配置し,園内全体に60余景が包含されている。また数多くあった建造物の中で,掬月亭・日暮亭・会仙亭などの茶亭が現存していて,四季折々に茶会が催される。特に初夏から夏にかけて,菖蒲の茶会や早朝の蓮見茶会などは各流派が競って趣向を凝らし,大茶会を催す。掬月亭は有料で,観光客のために常時茶席を設けている。当庭園の起こりは,戦国末期元亀・天正年間,当地の部将で,のちに生駒家の臣となった佐藤家の別邸から発し,生駒家の下屋敷となってから整備されたという。しかし本格的な大名庭園となったのは,生駒家が4代にして出羽に移封されたあと,入れ代わって寛永19年高松藩主となった松平家になってからで初代頼重から代々改修に努め,5代頼恭の延享2年に完成したという。当園は生駒時代西島八兵衛による香東川河道付替工事の結果旧河床となった辺りで,かつ高松平野の扇状地末端泉の位置となるので,吹上亭の辺りから自然湧泉が多く,6つの大池を築造しても満々と水をたたえていた。その水は下流宮脇村の農業用水に活用されたほどで,いわば名園の6つの池は農業用溜池の役割を果たしていたのである。大正年代以後,園の南部で近代的製紙工業が発達し,地下水を大量に汲み上げるようになり,湧泉も減少しはじめ,さらに第2次大戦後,香東川上流に内場ダムができるに及んで地下水は決定的に減少し,当公園の池は水の少ない汚い池の代名詞となった。現在は深井戸からポンプアップで補給して昔日の面目を回復している。なお高松藩主2代頼常の時大拡張工事が行われたが,それは干害で疲弊していた領民の救済用福祉事業の性格が強かったといわれる。当時の庭園造りは南庭を中心としたもので,北庭は竹や雑木の生い茂った雑然とした沼地で,領主の鴨場であり栗林も多かった。明治44年北庭の整備が始められ,宮内省内苑技師市川之雄の設計による洋式庭園に生まれ変わったのである。明治維新になって一時この庭園は私有物となり,荒廃化したが,それを憂えた県当局の努力で明治8年県有地となり,整備されて明治18年に県立公園として一般公開されるに至った。大正11年名勝指定,昭和28年国特別名勝に指定替えを受け,同31年有料化されてから,手入れも行き届くようになった。東門から入るとまず右手に市立美術館(昭和24年建設),左手に財団法人栗林動物園(昭和4年開設),さらに讃岐民芸館(昭和44年完成)があり,その先に最も古い明治32年建設の商工奨励館(旧名博物館,のちに商品陳列所)などの建物が集中する。入園者数は昭和47年の208万3,000人をピークに漸減しており,最近は113万人前後を上下している。園の最高峰飛来峰から北を望むと紫雲山の濃い松の緑を背景に掬月亭と南湖に浮かぶ楓島・弁天島などの島々,それに池に架かる偃月橋(三日月橋),その下の水面に群がる緋鯉・真鯉の群れなど,一幅の絵と賞すべき景勝である。




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「角川日本地名大辞典」
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