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和爾賀波神社
【わにかわじんじゃ】


木田郡三木町井戸にある神社。旧郷社。祭神は豊玉比売命・八幡大神・玉依比売命・息長足姫命。井戸八幡ともいう。社伝によれば,往古海神の女豊玉姫命が鰐魚に乗って川をさかのぼり,当地を居所と定め和爾賀波神社と称した。その後貞観年間に山城国石清水八幡宮を分祀して和爾賀波八幡宮と称し,井戸郷の産土神となったという。八幡神の勧請については,「御領分中宮由来」も同様に伝える(新編香川叢書)。また「讃岐国官社考証」は当社と当社のすぐ東を流れる鴨部(和爾)川上流長尾郷名村(現大川郡長尾町名)の石神との関係を,「肥前国風土記」佐嘉郡条に見える佐嘉川の海神説話と関連づけ,和爾賀波神を当地に奉祀した可能性を説いている。しかし本来は水神を祀ったのが創祀であろう。「延喜式」神名帳三木郡条に「和尓賀波神社」と見える。「讃岐国名勝図会」「讃岐国官社考証」などは当社に比定するが,付近に式内社と称する鰐河神社(三木町下高岡)があり,確定できない。「紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記」には,天暦4年・治安3年・寛治7年・治承2年・建仁3年・文永元年・同3年・応長元年・永享5年・同10年の社殿造営が記される(香川叢書)。天文3年9月の和爾賀波神社由緒書によれば,室町期には讃岐を領した細川勝元の信仰が篤く,毎年正月には必ず参拝し,破損の時にはその時々に造営を加えたという(和爾賀波神社文書/新編香川叢書)。享徳4年には細川勝元の執事安富左京亮盛保が三十六歌仙の板額を奉納している。縦29cm,横180.5cmの板6枚に三十六歌仙を描いたもので,天保6年の箱書も残る(同前)。天正16年9月生駒一正から荒開5反が寄進されたが,そこには「井戸之八幡宮」「井戸郷八幡」と見える(同前)。寛永17年生駒高俊改易の際の讃岐国中寺社領高書上写には「高六石 井戸之宮」とある(覚城院文書/新編香川叢書)。続く松平氏も扁額を奉納し,寛文5年・文化8年・安政3年に社殿を造営したという。明治5年郷社に列格。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7200088