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鰐河神社
【わにかわじんじゃ】


木田郡三木町下高岡にある神社。旧郷社。祭神は豊玉姫命・応神天皇。高岡八幡宮,四条八幡宮,四条鰐河八幡宮ともいう。社伝によれば,海神の女豊玉姫命は鸕鷀草葺不合尊を産んだ後,鰐魚に乗って川をさかのぼり,当地に鎮座して鰐河神社と称したという。しかし当社は古代の条里制に基づく方画地割がみられる平地部にあり,すぐ近くを新川が流れており,水神を祀ったのが創祀かもしれない。「延喜式」神名帳三木郡条に「和尓賀波神社」と見え,「全讃史」「三代物語」「讃岐国神社考」はそれを当社に比定する。しかし「御領分中宮由来」「讃岐国名勝図会」「讃岐国官社考証」などは和爾賀波神社(三木町井戸)に比定しており,確定はできない。社伝では延喜7年に応神天皇を配祀したといい,「紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記」も高岡八幡として同様に伝え,1郡1八幡の始まりだという。同書はまた,延長7年・正暦3年・寛治4年・弘長2年などの造営を伝える(香川叢書)。今は伝存しない明徳3年5月の撞鐘に,「讃州三木高岡八幡」とあった(新修香川県史)。「讃岐国名勝図会」の当社の項に,古老の伝として往古内陣に和爾賀波の神体を納めていたことを記しており,式内社和尓賀波神社を考える1つの史料となる。享禄年間三木紀伊守高長が社殿を造営したが,元禄15年焼失したという。別当は応神寺で,寛文8年の高松藩の小社合祀令で応神寺支配下の諸社を合祀した時の覚書「下高岡村応神寺支配神社寄宮帳」が残る(香川叢書)。明治維新で応神寺を廃し,明治5年鰐河神社と改称,郷社に列した。応神寺にあったと伝える乾漆聖観音坐像(国重文)は現在願興寺(大川郡長尾町造田)に所蔵されている。また阿弥陀如来像と懸仏は願勝寺(三木町下高岡)へ,薬師如来像は真行寺(三木町井戸)へ移転。10月の秋祭には大獅子が奉納される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7200089