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石鎚神社
【いしづちじんじゃ】


石鎚山頂にある頂上社,中腹の成就にある口ノ宮社(通称成就社)および西条市西田にある石鎚本社の3社を総称したもの。古くは石鎚(鉄)山社と称した。祭神は「古事記」に見える石土毘古命で,智・仁・勇の神徳にちなんで3体の神像を祀る。「日本霊異記」によると,寂仙という修行僧の練行以前石鎚山頂にすでに石鎚神が鎮座していたといわれ,奈良期に役小角がこの神を石土蔵王権現と称して深く崇敬したのが開基とされている。また役小角の法脈をひく芳元が石摺峰(石鎚山のことか)に熊野権現を勧請したという伝承もあり,役小角の当山開基伝説は,室町期以降とする説が有力である。前神寺・横峰寺が古代以来石鎚神社の別当寺として登場した。平安期に前神寺に阿弥陀仏像,横峰寺に大日如来像・金剛蔵王権現像がつくられているので,神仏習合はそれ以前になる。石鎚山は中世以降は山岳仏教の道場として栄え,日本七霊山の1つに数えられる。明治維新の神仏分離により石鉄山蔵王権現と改称し,石鉄(鎚)神社となった。石鎚神社は明治4年県社となり,別当寺は一時廃寺となったが,前神寺は同42年に,横峰寺は同43年に復旧し,独立した。第2次大戦後は神社とは別に,「石鎚本教」と呼ぶ独立宗派を設立した。神仏混淆の思想は現在も残っており,参詣者は「ナンマイダンボー」(南無阿弥陀仏)と唱え,石鎚の神を権現様と呼ぶこともある。現在の頂上社は石鎚山頂の弥山(みせん)に昭和39年新造され,また西田の本社殿も同42年新築された。中腹の成就社は拝殿が吹き抜けとなっていて本殿がなく,山自体を神体として遙拝するようになっている。山全体が神聖視されたため,長い間女人禁制であった。毎年7月1日から10日までが夏の大祭でお山市と称され,今も1~2日は女性の登拝が禁止されている。この大祭の間神像は信者の手によって頂上社に移され,11日に再び下山してお山開きの幕を閉じる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7200263