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宇和島港
【うわじまこう】


宇和島市の宇和島湾頭にある港。昭和38年重要港湾に指定,同46年には開港に指定,南予では唯一の開港場である。同52年の入港隻数は1万3,845,うち外航商船31,入港総トン数は172万tで,入港隻数では八幡浜(やわたはま)港に次ぐ南予第2の港である。主な輸入品のうち,原木はインドネシア・ニュージーランドなどより,砂糖はフィリピンから輸入される。主な移出品は原木・チップ・金属くずなどで,原木は南・北宇和郡,高知県幡多郡などから集荷される。主な移入品は砂利・鉄鋼・セメントなどの建築資材,石油製品,飼料等である。後背地に大企業のないことから,地場産業港,生活物資港の色彩が強く,移出入貨物量は停滞している。昭和52年の船舶乗降人員62万人,県下では松山・今治(いまばり)・八幡浜に次ぎ第4位である。航路は八幡浜経由別府航路と,南予の沿岸航路であるが,乗降人員は後者が圧倒的に多い。別府航路と沿岸航路のうち九島航路はフェリーが就航している。現在別府航路は築地地区,沿岸航路は新内港,外材輸入は坂下津(さかしづ)地区となっている。宇和島港はリアス式海岸の湾頭に立地する天然の良港であったが,須賀川・来村(くのむら)川などの流出土砂によって,明治以降港湾機能は著しく低下した。沿岸航路の離発着する内港は旧城濠を利用していた。明治末年には土砂の堆積で機能が失われ,第1回の内港改修は明治42~43年に行われたが,再び土砂の堆積により,大正11~14年に第2回目の改修が行われた。内港の土砂堆積を防ぐため,昭和5年から7年の間に須賀川の付替工事が行われた。昭和8年から同14年にわたる宇和島港改築第1期工事によって,旧須賀川河口付近が新内港として整備された。昭和16年から19年にかけて行われた第2期工事によって,築地に新港が建設,昭和24~25年に待合所・浮桟橋などが新設され,それまで樺崎にあった外港が築地に移された。築地には昭和44年から45年にかけてフェリー桟橋が建設され,翌46年より,フェリーが就航した。昭和46年から50年にかけて坂下津地区が外材輸入港として整備され,水深4.5~7.5m,延長295mの坂下津岸壁が完成,2,000~5,000tの外洋船の接岸が可能となった。なお宇和島港に大阪への定期航路が開かれたのは明治15年,沿岸航路が開拓されたのは同43年である。大阪航路を開拓したのは,大阪商船であったが,明治17年には宇和島の実業家によって宇和島運輸が設立され,その宇和島丸も大阪航路に就航することになった。両社の熾烈な競争が続いた後,明治40年協定が成立し,両社で隔日に出帆することになった。大阪商船が昭和3年就航を中止,宇和島運輸の大阪航路も第2次大戦中に就航中止となり,戦後は予讃線の開通により再開されなかった。現在沿岸航路に就航しているのは,盛運汽船と九島農協フェリーである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7200501