大野ケ原①
【おおのがはら】

東宇和郡野村町小松から寺山地区にまたがるカルスト高原。標高975~1,400mで,四国カルストの一部を占める。南北幅1~2km,東西4~5km,面積7.4km(^2)。秩父古生層の20~50mの厚さの石灰岩におおわれる。南部高知県境の源氏駄場は大野ケ原の最高峰で老年期のカーレンフェルドを呈し,北麓の小松・寺山地区は100を超えるドリーネ・ウバーレなど典型的カルスト地形からなる。地元ではドリーネを「マイコミ」と呼び,凹地の一部は牧草畑や住宅地となっている。標高1,160mの小松ケ池はドリーネに水がたまったもので竜神伝説の竜王神社がある。鍾乳洞は深さ260mの竜王洞や西寺山洞・笹ケ峠洞などの縦穴がある。西麓標高720mにある鍾乳洞,羅漢(らかん)穴は支洞を合わせた全長430mの横穴。小屋の羅漢穴ともいう。入口より138mの所で2つに分かれ,右洞は74m,左洞は174m。洞内にはヤスデ・トビムシなど7種の生物が知られる。明治末期~大正初期には西部の大洲(おおず)地方の養蚕家が蚕種の貯蔵庫として利用した。肱(ひじ)川支流の船戸川上流左岸斜面にあり,一帯はスギ・ヒノキの森林地帯。大野ケ原は日露戦争時から明治42年まで善通寺十一師団の砲兵演習場となり,第2次大戦中は軍馬の放牧場であった。昭和23年開拓実験農家7戸が入植,同25年開拓地として認可され本格的入植が始まり,同30年で63戸。美濃早生ダイコンの栽培のあと,昭和34年,乳牛40頭が導入されて開拓が軌道にのり,昭和46年から農林省の四国カルスト草地改良事業が始まり,同54年では27戸(酪農家16戸),乳牛600頭の酪農地域となった。雄大なカルスト高原と牧場,さらにブナの原生林など自然に恵まれ,昭和40年ごろから夏季はハイキングやキャンプ,冬季はスキーに訪れる人が多くなり,民宿のほか大野ケ原公民研修センターなど宿泊施設が整備され,観光地として脚光を浴びはじめた。道路は主要地方道野村柳谷線が通じ,西部で国道197号,東部で国道33号にそれぞれ連絡する。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7200643 |





