善応寺
【ぜんおうじ】

旧国名:伊予
高縄半島の北西部,高山川と河野川に挾まれて位置する。高縄山の西麓にあたる。越智氏の一族河野氏が,治承5年に源頼朝に従って反平氏の旗をあげて以来,当地に土居館を築いて河野氏の本拠地としてきたが,建武3年に湯築城(現松山市)を築いて移った。この後土居館跡に臨済宗善応寺を建立し,七堂伽藍のほか13の塔頭を持つ壮大な寺院を築いた。地名は,村域がほぼ寺域に合致することに由来するという。小字には宗源寺・仙寿院・明智庵・万念寺・大相院・一心庵・見寿院・通玄庵・松林庵・万松寺などが残り,往時の隆盛ぶりが偲ばれる。地内の辻之内に塚穴様と称する小祠がある。安政2年にサバ池修築に際して土砂採取中に発見した横穴式古墳で,人骨・土器・鏡・刀剣を出土したと伝える。
【善応寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【善応寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7201907 |





