多喜浜
【たきはま】

旧国名:伊予
新居浜平野東端,郷山・垣生(はぶ)山・黒島の3丘陵に囲まれ,燧(ひうち)灘南岸に位置する。南から阿島(あしま)・又野・落神(おちがみ)の3河川が流入して干潟を形成していたが,宝永年間以降の塩田開発による埋め立てで漸次土地が造成されていった。地内の中央に大久貢(おおくぐ)・小久貢(しようくぐ)の2小丘が孤立するだけで全地区平坦な低湿地である。地名は,享保18年の大飢饉後,西条藩が被災者救済のため藩営事業をおこし,備後国尾道(現広島県尾道市)の肝煎天野喜四郎らが郷(ごう)村の地先に石高42石余の新田と塩田17区36町余を開発した。この新田開発事業で飢饉から救われたひとびとはおおいに喜び,この新田一帯を多喜浜とよびはじめたという(天野家文書・西条誌)。
【多喜浜村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【多喜浜村(近代)】 明治22年~昭和28年の新居郡の自治体名。
【多喜浜(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7202038 |





