道後
【どうご】

旧国名:伊予
松山平野東部,石手川北方の平坦地に位置する。道後温泉を中心とした地域で,温泉は,古くは「伊予の温泉(ゆ)」「熟田津(にぎたつ)の石湯(いわゆ)」と呼ばれ,聖徳太子などが来浴したと伝える。古代は「和名抄」に見える温泉郡井上(いのべ)郷に属したと推定される。地内には式内社の出雲崗・湯・伊佐爾波の3社があった。地内の北部には冠山をはじめ16の小谷(道後16谷)があり,縄文中・後期の土器破片・石鏃や水田耕作用の木鍬などが発見され,弥生中期の土器類を持つ住居址がある。また地内の田地から平形銅剣10口が発掘された。飛鳥期に創建されたと伝えられる廃寺跡から百済式単弁蓮華紋瓦・複弁式蓮華紋瓦などが出土。
【道後(中世)】 戦国期に見える地名。
【道後村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【道後村(近代)】 明治22年~大正12年の温泉郡の自治体名。
【道後(近代)】 ①明治22年~昭和5年の大字名。
【道後町(近代)】 昭和39年~現在の松山市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7202246 |





