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西宇和郡
【にしうわぐん】


(近代)明治11年~現在の愛媛県の郡名。明治11年郡区町村編制法により宇和郡を東・西・南・北の4郡に分割して成立。佐田岬半島と宇和海北東沿岸地域からなる。近世の86村を含み(編年史10),成立時の村数は47村(愛媛県町村沿革史)。ほぼ旧宇和島藩領の保内・矢野両組の村々で,成立直前には愛媛県第17大区に属していた。郡役所は八幡浜(やわたはま)浦(現八幡浜市)に設置。明治22年市制町村制が実施され,八幡浜町と平野・磯津・宮内・川之石・喜須木・伊方・町見・三机・四ツ浜・神松名・三崎・日土・矢野崎・千丈・舌田・神山・真穴・川上・双岩・三瓶・二木生・三島の各村の1町22か村となる。明治32年平野村が喜多郡に編入。大正3年川之石,同10年三瓶(みかめ),昭和3年神山がそれぞれ町制を施行し,4町18か村となる。昭和5年矢野崎村は八幡浜町に編入。同10年八幡浜町は神山町・舌田村・千丈村を合併して市制を施行し,2町15か村となる。昭和30~31年の市町村合併促進法によって,磯津・宮内・川之石・喜須木の4村は保内町に,伊方・町見の2村は伊方町に,三机・四ツ浜の2村は瀬戸町に,三崎・神松名の2村は三崎町に,三瓶町・二木生村・三島村と双岩村の一部は三瓶町に,それぞれ合併し,また日土村・真穴村・川上村と双岩村の一部は八幡浜市に編入した。以後当郡は5町からなる。戸数・人口は,明治37年1万7,813・9万2,235,大正10年1万8,919・10万2,551。昭和30年の人口は6万7,147。近世期より五反田(ごたんだ)地域の織物,宮内(みやうち)の櫨実・蝋,佐田岬半島部では牛馬の飼育が盛んで,集散地の川之石(かわのいし)や八幡浜には海運業が発達,明治17年の県内(香川県を含む)港別輸出額では最高の75万円を記録した。明治19年佐田岬半島西部の三崎(みさき)や頸部の保内地方に夏柑栽培が始まり,同21年には四国初の紡績工場が川之石に創立され,いずれも以後の基幹産業となった。一方,半島部一帯では明治20年代から大正末にかけて,最盛期には30を越える中小の銅鉱山が開発され,別子(べつし)に次ぐ産銅地となり,明治26年~大正8年まで八幡浜沖の佐島(さしま)に製錬所が設けられた。活発な産業活動に伴い明治29年には川之石に国立第二十九銀行,同34年には八幡浜に郡立八幡浜高等商業学校が,いずれも県下他地域に先がけて創立された。昭和30年代後半より半島地域を中心に人口流出が始まり,沿岸漁業の不振と昭和40年代後半からのミカン類の価格低迷が過疎化に拍車をかけてきたが,他方では昭和52年,伊予灘側伊方町九町越(くちようごし)における四国電力伊方原子力発電所(1号機出力56万6,000kw)の建設,国道197号の半島部バイパス建設などが進められており,西瀬戸内海開発,九・四連絡の拠点として一転機を迎えようとしている。昭和53年の世帯・人口は1万3,024世帯,4万3,140人,面積173km(^2)(愛媛県市町村統計55年版)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7202547