深泥浦
【みどろうら】

旧国名:伊予
(近世)江戸期~明治22年の村名。宇和郡のうち。河内川河口に位置する。鶴間浦の枝浦。はじめ宇和島藩領,明暦3年からは吉田藩領。立間郷に所属。村高は天正検地では34石余,「慶安郷村数帳」では34石余,うち田32石余・畑1石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに34石余,「旧高旧領」35石余。湿潤の地であったが,開発は宇和島藩領期から進んでおり,吉田藩領となってのちは,立間尻浦分となり,同浦庄屋の支配となった。天明7年の「三高帳」では,家数48軒,うち百姓38・無縁10・道心1・社人1,宮6,寺1,堂1,人口265,牛7,網代9・公儀網代2・網3・網船13・出買船1,鰯浜1(吉田町誌)。弘化2年,御野奉行よりの通達によれば「四季共諸殺生停止」の留野に指定されていた。明治6年愛媛県に所属。「宇和郡地理全志」では戸数3・人口11。同11年北宇和郡に所属,同22年立間尻村大字立間尻の字名となる。現在の吉田町大字立間尻のうち。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7203281 |





