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秋山
【あきやま】


旧国名:土佐

新川川中流域に位置し,南には大谷山山系が東西に走る。上秋山には弥生前期吾南における稲作開始期の山根遺跡があり,それに接して平安後期から中世にかけての石屋敷遺跡がある。山根遺跡は標高5m内外で現在は水田と宅地が主である。5次にわたる発掘調査によって,弥生前期末の竪穴住居跡や貯蔵穴などの遺構が検出され,大篠式土器片をはじめ多くの石器類も出土した。またこれらの遺構の上層からは弥生中期の土器も出土し,さらに貯蔵穴の底部砂層からは縄文後期の土器片も出土し,春野町における最初の縄文土器の発見である。地内の四国霊場八十八か所第34番札所種間寺は空海が唐から持ち帰った穀物の種を播いた故事が寺号となり,「古事談」「十訓抄」にも寺名が見える。創建年代は不明であるが,四天王寺建立を終えた百済の仏工が帰国途中難破し,当地に漂着,海上安全を祈願して薬師如来を刻み同寺に安置したと伝える。現在,本尊薬師如来は定朝様式の藤原仏で国重文に指定されている。和田山には中世の秋山城跡がある。頂上から山脚が八方にのびる要害の地で,現在も詰や出丸の郭土塁状遺構などかなり良好に残存する。長宗我部元親と本山氏との抗争は「土佐物語」の秋山城夜討並吉良城の事からも察知できる。西麓には和田寺跡もあり,五輪塔も数多くたっている。
秋山ノ村(中世)】 織豊期に見える村名。
秋山村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
秋山村(近代)】 明治22年~昭和29年の吾川郡の自治体名。
秋山(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7203764