麻生
【あそう】

旧国名:土佐
渡川(四万十(しまんと)川)支流の後川下流左岸に位置する。天正17,8年頃のものと推定される麻生村地検帳の表紙に「幡多郡麻生村地検帳」と見え,検地面積は4町8反余(出分2反余を含む)うち田1町3反余・屋敷1町5反余・畠5反余・荒1町3反余。そのうち「散田分」とある直轄地は1筆(2反余)だけであり,残りの大部分の約4町は長宗我部氏の派遣した桑名弥次兵衛の給地で,ほかに本山弥五良給・難波平助給・主不知が各1筆ある。屋敷数は15。
【麻生村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【麻生(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7203809 |





