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荒倉神社
【あらくらじんじゃ】


吾川(あがわ)郡春野町弘岡中にある神社。旧郷社。祭神は天闇龗大神・春日大神・諏訪大神。荒倉山麓に位置する。「南路志」に荒倉三社大明神と記され,三社とは上記の祭神の順に荒倉大明神・春日大明神・諏訪大明神のことである。「皆山集」はその由緒について「往昔,当処ハ大野郷弘岡村ト唱へ,最モ乾燥ノ土壌ニテ,人民耕作ニ便ナラズ。因テ当大神ノ雷電澍雨ノ霊現ヲ深ク奉仰シ,是ヲ荒倉山ニ奉斎シ,谷水ヲ大神ノ御手洗ニメ,之ヲ決シテ広野耕田ニ灌ク。是ヨリ人民水利ヲ得,農業ニ勧ミ,村民鼓腹ス。祭礼遥ニ二淀川迄御神幸有之所,其后漸次ニ懈リ,僅ニ十丁斗御神幸相成。明暦四年山内氏始テ荒倉山ニ猟シ,社地ニテ獲物宰シ,之ヲ煮大ニ衆ニ賜リ,宴ヲ終リ帰城ス。其夜忽チ社殿炎上,神器残ラス焼失ス。之ニ因テ社殿山内氏ヨリ今ニ至迄官営ニ相成」と記す。天文9年の棟札は「荒倉諏訪大明神」で,「大檀越清茂」の名が見える(蠧簡集)。清茂は長岡郡本山(現本山町)を本拠として朝倉城(現高知市)に拠った本山茂宗(梅慶)のことで,天文9年以前に弘岡の吉良氏を滅ぼして支配下に入れ,社殿の造営にあたったのであろう。茂宗の子茂辰も永禄2年に大檀那として造営した。天正4年には本山氏に代わった長宗我部元親の弟吉良親貞が,同18年には元親の四男吉良千熊丸(盛親)が大檀那として造営にかかわった。慶長2年の弘岡村地検帳には,大年神田・霜月十五日神田・正月七日神田・十二月十八講テンほかの社領が見える。明治元年現社名に改め,同5年郷社に列格。厄除神として有名である。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7203847