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宇佐八幡宮
【うさはちまんぐう】


安芸郡芸西(げいせい)村和食にある神社。旧郷社。祭神は品田別命。国道55号の北側,丘陵上に位置する。社伝によると,建久年間に豊前国の宇佐八幡宮を勧請したという。天正17年の和食地検帳によれば,社殿は6尺四方で熨斗葺,横殿は4間の枌葺で,末社が1つあった。八幡領として,神田のほか御供田・菖蒲田・行来田・安居田・灯明田・三月三日田・十一月一日田・十二月一日田など2町程が存在する。慶長14年の棟札に「新造立八幡宮本願園城寺栄糾社人神兵衛時貞末重孫兵衛」とあり(南路志),彼らによって新たに建立されたことがわかる。別当寺と思われる園城寺は真言宗で福聚山慈眼院と号し,古くは妙楽寺といった。江戸期は土佐藩主山内一豊の寄進による寺領2石2斗余を有していた(南路志)。社地は1反15代,祭礼は正月15日・6月15日・8月15日であった(同前)。明治初年郷社に列格,園城寺は廃寺となった。境内社には坂本神社や近年,集団で和食に移住してきた白髪集落の氏神白髪神社などがある。坂本神社は祭神が葛城襲津彦命。創祀は未詳。天正17年の和食地検帳に「権現」と見え,社殿は5尺四方で熨斗葺,横殿は4間で枌葺と記されている。付近には権現領として行事田なども所有していた。安政3年の改築の折に,本社内陣の横梁に「奉造立坂本権現」という慶長13年銘の墨書が発見された。そのため神主が「延喜式」神名帳安芸郡条に記載のある「坂本神社」は当社に相違ないとして藩庁に届け,藩庁も認可した(皆山集)。「類聚国史」貞観8年5月22日条には「土佐国坂本神」が殖田上神・朝岑神・祈年神とともに従五位下に叙されたと記されているが,式内社坂本神社を当社とするならば,「土佐国坂本神」は当社の神のことかとも考えられる。その後明治5年に至って,和食村戸長役場により当社は平社の坂本神社とされ,以後宇佐八幡宮の境内社となった(同前)。現在,延喜式内社「坂本神社」は同郡奈半利(なはり)町の中里に鎮座する多気神社と相殿の坂本神社に比定されているが,当社を式内社とみる説もある(県史古代中世)。式内社「多気神社」「坂本神社」はもとは別々に祀られていたらしいこと,天正17年の奈和利荘地検帳には,多気神社の記載は見えるが坂本神社は記載がないこと,当社は「坂本権現」と称し,権現領を所有していたこと,などの点は注意されるであろう。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7204189