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大川上美良布神社
【おおかわかみびらふじんじゃ】


香美郡香北(かほく)町韮生野(にろうの)にある神社。延喜式内社。旧県社。祭神は大田田禰古命で,大物主神ほか数神を合祀する。単に川上大明神・大川上宮とも呼ばれた。国道195号の北側に所在する。「皆山集」所収の古老の口碑によると,雄略天皇の時の創祀というが,詳細は未詳。社名の美良は韮の古称(南路志),布は助語だといわれる(土佐国式社考)。承和8年8月美良布神として石土神(現石土神社,南国市十市)とともに官社に列し(続日本後紀),貞観8年8月に従五位下から従五位上に昇叙している(三代実録)。列官社・昇叙がいずれも8月であることや社名を勘案すると,当社は祈雨神としての性格を有していたものとも考えられる。「延喜式」神名帳香美郡条に「大川上美良布神社」と見える。社蔵の大般若経奥書には嘉暦元年のほか,嘉慶3年・康応2年・明徳元年の北朝年号が見える(古文叢)。また応永9年には神宮寺と思われる大川上日禅寺に半鐘が寄進されている(日本古鐘銘集成)。この半鐘はその後吸江寺(現高知市吸江)に移されたらしい(同前)。戦国期は当地の領主で楠目城(現土佐山田町)城主山田(大中臣)氏の庇護を受けたらしく,天文12年の棟札に「大河上社大檀主大中臣基道」と見える(韮生川上社棟札/蠧簡集)。同時に韮生野城主有光弾正忠知幸も神主として名を連ねている(南路志)。山田氏ののちの長宗我部氏の信仰も篤く,永禄13年に秦(長宗我部)元親が修理したほか(川上神社再興木札/同前),慶長2年にも秦盛親が修復している(古文叢)。天正16年の山田郷ノ内韮生谷地検帳によると「川上大明神宮床」として30代があり,ほかに「舞殿修理テン」「横殿修理テン」「韮生御弓矢刻御寄進テン」「三月三日申テン」などの神田が韮生野村を中心として,五百蔵(いおろい)村・野尻村などに散在する。韮生郷の総鎮守として崇敬されていたものと考えられる。近世は朴木村に社領3反を有するのみであったが(南路志),嘉永5年に正一位が授けられたという(皆山集)。別当は吉野村の光徳寺(現廃寺)。明治5年県社に列格。現社殿は明治2年に完成したもので,県文化財。社宝に2個の銅鐸がある。古くは降鐘(雌鐘・雄鐘)といわれ,物部川で雨乞に使用したという(南路志)。祭礼(9月19日)には狂言が延享4年以降行われ,「菅原伝授手習鑑」などが上演された(南路志)。例祭は10月27~28日。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7204390