大川村
【おおかわむら】

(近代)明治22年~現在の土佐郡の自治体名。四国山地の中央部,吉野川上流域に位置する。周囲に東光森山・平家平・大座礼山・とぎの山などがそびえ,中央を吉野川が東流して南東端で瀬戸川を合流する。小松・船戸・浅谷・大北川・高野・川崎・猪ノ川・大平・小麦畝・小北川・大藪・下切・南野山・上小南川・下小南川・中切の16か村が合併して成立。旧村名を継承した16大字を編成。地内は急峻で平坦地がきわめて少なく,住家は吉野川沿いと山腹斜面に散在する峡谷型の村である。明治24年の戸数367・人口1,749(男932・女817),厩17,船7。大正14年大川村信用販売購買利用組合設立。昭和7年頃の資料によれば,面積6.17方里(東西4里・南北2里半),戸数706・人口3,499,交通が不便なために産業は振るわず,農産(稗・黍)7万6,326円・林産2万1,142円・畜産6,428円・工産(木工品・竹細工・茶)5,326円など。住民の多くが働く日本鉱業白滝鉱山は村の北端にある銅山で,採掘鉱区173万坪・試掘鉱区546万坪・生産約80万円の県下第一の鉱山であったという(県誌)。同11年の生産総額157万9,703円うち農産11万6,872円・畜産1,815円・林産6万7,126円・工産1,064円・鉱産139万2,826円,主要生産品は銅鉱・三椏・木材(経済一覧)。同22年大川村農業協同組合創立。同年川口・船戸・白滝の各中学校開校。同27年県道開通に伴い大川橋架替え新橋竣工。同33年高知県交通バス白滝線運行開始。同46年村内中学校を統合し,大川中学校が発足。同48年完成の早明浦(さめうら)ダム建設により川崎・下小南川・中切・高野・船戸・小松などの各一部が水没し,昭和47年の白滝鉱山閉山とあいまって,人口の激減を招いた。また台風来襲などにより昭和45・47・50・51年と大きな被害を受けており,同54年には吉野川流域が建設省直轄砂防区域に編入されている。世帯数・人口は,昭和40年905・3,212,同45年591・1,900,同50年318・933。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7204394 |





