奥内村
【おくうちむら】

(近代)明治22年~昭和26年の幡多郡の自治体名。幡多郡の最西端,南は太平洋(大堂海域),西は宿毛(すくも)湾に面する。大洞山を主峰とする山脈が西海岸に沿って北から南に走り,西側は海岸地域,東と北は農業・林業地域に二分され,農業・林業・漁業を主体とする。弘見・添ノ川・小間目・頭集(かしらつどい)・一切・鉾土・平山・天地・橘浦・泊浦・芳ノ沢・清王・柏島の13か村が合併して成立。旧村名を継承した13大字を編成。村役場を弘見に設置。明治24年の戸数960・人口4,978(男2,610・女2,368),厩88,船371。明治31年奥内村農会,同41年信用組合設立。大正6年の事業産業状況報告には,産物として米3,600石余・麦1,300石余・繭630貫,そのほか木炭などがあげられ,いずれも前年度に比べて増額しているとある。同8年馬生産実行組合結成により馬産が奨励され,軍用馬の買上げなどもあり県下有数の馬産地となったが,第2次大戦後飼育は減少した。同9年8月15~16日の豪雨による大洪水のため田畑の流失,堤防の決壊,山崩れのほか死傷者が出るなど村内各地に甚大な被害があり,その復旧は同13年までかかったという。昭和7年頃の資料によれば,面積4.15方里,耕地646町歩,戸数1,536・人口7,316,主要産業は水産および農産で,水産物は主として西部海岸の沿岸漁獲物と製造物で年間30万円を超えた。また柿は弘見付近の名産で年産額1万1,500円にのぼるとある(県誌)。同11年の生産総額73万7,969円うち農産20万7,668円・畜産1万4,715円・林産10万2,784円・水産34万6,944円・工産6万5,858円,主要生産品は魚・米・木炭(経済一覧)。同14年タバコ栽培を導入。同17年奥内村森林組合設立。同18年農会と産業組合を統合して奥内村農業会となるが,終戦後解散。同23年農業協同組合設立。同24年弘陵地区農業相談所(現農業改良普及所)が設置された(大内町史)。世帯数・人口は,大正9年1,534・7,402,昭和25年1,905・9,868。同年の主要作物作付状況は,水稲254町余・麦類140町余・甘藷135町余・豆類16町余・葉タバコ4町余,そのほか牛221・馬338(農業センサス)。同26年町制施行して大内町となる。村制時の13大字は同町の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7204628 |





