奥奈路
【おくなろ】

旧国名:土佐
松田川中流域,松田川と京法川の合流点付近に位置し,松田川を挟んで西須賀と東須賀に二分されている。奈路とは山麓に開けた台地を意味し,集落の南部沖の方の小字をオキノナロというのに対し,それより奥地を近世になって奥奈路と称したものと思われる。天正17年の幡多荘内橋上他三村地検帳によると,江戸期の奥奈路村に含まれたと思われるおきのなろ村(検地面積3町2反余)のほか,井ノ木サコ村2筆・カウサ井村14筆・色白村2筆・岡屋敷村18筆・小川村6筆が記され,阿弥陀堂・島宮・権現社・洞渓院などが見え,多くは小島出雲守の給地となっている。古城跡には宮尾城(井の森城)と色城があり,ともに小島出雲守の城という(宿毛市史)。
【奥奈路村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【奥奈路(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7204645 |





