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鳴無神社
【おとなしじんじゃ】


須崎市浦ノ内東分にある神社。旧郷社。祭神は味鉏高彦根命(一説に一言主神ともいう)で,級長津彦命・級長津姫命を配祀する。浦ノ内湾の奥深くにあり,鳥居は海上に突き出し,土佐の宮島といわれる。鳴無大明神と称した(南路志)。「南路志」所収の社記に「当社味鉏高彦根尊と申伝,則淡路廃帝天平宝字年中之頃より之御神と申伝,尤一宮大明神と同体,則大明神鳴無へ御幸之節,金剛丸と申御舟に召,船越と申山を越御木給,依右船越山と于今申伝」とある。古厨子裏書に建久5年宝殿造立,あるいは棟札に建長3年建立などと見え,創建は鎌倉期を下るものではなかろう。以後,正和2年・貞和3年・至徳4年の建立を伝える。さらに蓮池城(現土佐市)に拠った大平氏の崇敬が篤かったと思われ,永享9年沙弥伊那・大平国文父子が,明応7年には大平国雄・国修父子が社殿を修造した。現社殿は寛文3年山内忠義の造営で,本殿・幣殿・拝殿は国重文。本殿は西面し,桁行3間,梁間2間の切妻,妻入り向拝付の春日造りで,屋根は柿葺,棟は箱棟で千木・勝男木を置く。全体に極彩色がほどこされ,細部の手法は卓抜,随所に霊物・鳥獣・竜・獅子・仏人などの彫刻があり,秀麗優美である。内陣天井には天女の舞の絵が描かれる。幣殿と拝殿はともに素木造りで,簡素ながら安定した姿である。社殿造営とともに鰐口・石灯籠・手洗鉢・石盥盤(ともに市文化財)その他が寄進された。別当寺は新義真言宗の宝林山神明院源光寺であったが,明治5年廃寺となり,青竜寺へ合併した(須崎市史)。神社は明治初期に鳴無神社と改称し,明治5年郷社に列した。昭和32年に社殿を修築した。古くは御船遊と称して,高知市一宮(いつく)から浦ノ内へ神輿渡御の儀式が行われていたが,現在は8月25日の例祭(志那禰(しなね)祭という)の折,神輿を御座船にのせ,横浪・鳴無各1艘ずつの脇船を従え,浦ノ内湾内を海上渡御する。旧暦8月23日の秋祭りに東分の青少年が奉仕する神踊り(県無形民俗文化財)がある。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7204720