上ノ加江
【かみのかえ】

旧国名:土佐
土佐湾の西岸,火打ケ森の山並みの東側の両栄川(上ノ加江川)・五所川の流域に開けた海岸地域に位置する。北の大津崎,南の加江崎の間に上ノ加江湾が広がる。加江崎には平田氏の居城雲井城跡があり,鎌倉期以来平田氏はこの城を拠点として上ノ加江の南部加江地域を支配下におき,一条氏時代には一条氏麾下の武将として54将の1人に数えられたという。鎌倉後期に上ノ加江の北方久礼に来住した佐竹氏は,戦国期になるとその勢力をのばし,上ノ加江の北部両栄川河口近くの左岸に居館を構え,やがて平田氏を滅ぼして上ノ加江一帯をその掌中におさめたと伝える。地内山崎の熊野神社には永徳元年の年紀を有する御正体2面がある。なお「賀江」という地名については,戦国初期と推定される船戸村(現東津野村)金光寺般若経奥書に「奉施入土州高岡郡久礼保南村賀江大明神御宝殿」などと見え(古文叢),天正末年から慶長年間と考えられる年未詳10月9日の長宗我部盛親判物にも「仁井田加江其許之からさいけ之儀」と見える(蠧簡集)。
【上賀江村(中世)】 織豊期に見える村名。
【上ノ加江村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【上ノ加江村(近代)】 明治22年~大正3年の高岡郡の自治体名。
【上ノ加江町(近代)】 大正4年~昭和32年の高岡郡の自治体名。
【上ノ加江(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7205000 |





