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賀茂神社
【かもじんじゃ】


須崎市多ノ郷にある神社。旧郷社。祭神は賀茂別雷大神。賀茂大明神社(土佐州郡志)・賀茂大明神(南路志)とも称した。御手洗川下流左岸に位置し,東側を中ノ川が流れる。「南路志」所収の「賀茂大明神勧請之記」では津野氏の祖津野経高の勧請という。「古文叢」などに所収された当社本地仏裏書に「土州高岡郡津野庄多野郷賀茂本地仏 寿永二年正月 日」とあって,寿永2年以前の創建であることがわかるが,「勘仲記」紙背文書の平安末期と推定される官宣旨案によれば,京都の鴨御祖社(下賀茂社)領の土佐郡潮江荘(現高知市)が地震で陥没したため,その代替えとして康和2年に津野荘が与えられたとあるので(東洋文庫蔵/須崎市史),その創建の時期を知るうえで手掛りとなろう。「南路志」には文安2年銘の鰐口と永享2年銘の懸仏があったことが見え,棟札では永享8年津野之高が屋根の葺替えを,永正5年には津野元実が社殿を再興しており,以後も修造が繰り返された。天正16年の津野惣郷神社帳には「賀茂下上大明神 本社三間四面なり 舞殿三間 横殿五間 籠所三間 御供所三間 神宮寺三間 宮人八十人御欠着之時膳所五間」とある。神社の西に神宮寺があったが,慶長頃から新義真言宗の無量寿山宝寿院観音寺が勤めた。明治4年廃寺となるが,同13年より再興に着手し,大正15年竹の鼻から大間西町の現在地に移転した。神社はかつて多ノ郷・須崎(浜町・鍛冶町・新町・原町)・神田・土崎・吾井ノ郷・桑井山の総鎮守であったが,明治元年からは多ノ郷・須崎の産土神となる(須崎市史)。昭和15年の火災で社殿・社宝を焼失したが,弥生時代の銅剣(32.4cm)は難を免れた。昭和23年再興し本殿は原形のまま。境内の鎌倉期の多重塔は高さ4.3m,花崗岩製の12層であるが,「南路志」に13層とあり,のちに1層欠けたと思われる。10月20日の大祭には須崎の浜辺まで隔年に御神幸があったが,現在は大間まで行う。大祭に奉納される太刀踊りは県無形民俗文化財。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7205049