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熊野神社
【くまのじんじゃ】


幡多郡大正町田野々にある神社。旧郷社。祭神は伊弉冉大神・事解男大神・速玉男大神。檮原(ゆすはら)川が四万十(しまんと)川に合流する左岸に位置する。熊野権現(土佐州郡志)・熊野三山権現(南路志)とも称した。棟札(蠧簡集・南路志所収)によれば,建久元年上山郷の領主熊野別当旦増(湛増)の子永旦が紀州熊野より勧請し,その子孫田那辺重正が応永17年に再興したもので,重正は応永35年・享徳2年にも修造にかかわっている。田那辺氏が天正年間に退転したのちは上山郷の総鎮守として郷民が祭祀した。この神は紀州熊野より幡多郡伊与木郷熊野浦(現佐賀町)に着き,そこに鎮座したという(現熊野神社,旧郷社)。のち奥打井川を経て田野々に勧請されたと伝えるが,確かな資料はない。神宮寺は真言宗の宝亀山長楽寺。建久元年の当社勧請と同時の建立で上山郷の祈念所であった(南路志)。境内の長楽寺跡に近年,小堂を建て数躯の仏像を安置する。木造如来形立像は像高88.7cm,頭体部を通して背面を割り矧ぎとし,頭部はさらに三道下で割り離す。両肩外側部も割り矧ぎ内刳りをほどこしている。ふくらみのある肉付ながら,その面相は引き締まり,作者の巧技がみられる。木造地蔵菩薩立像は像高63.5cm,ほぼ丸彫りに仕上げ,やや小首をかしげた姿態は味わいがある。両像とも本地仏と思われ,藤原期末~鎌倉期初頭の作で,県文化財。明治5年熊野神社と改称し,郷社に列した。明治15年現在地の下に社殿を修造したが,同23年の大洪水で本殿を流失。同25年改築したが,大正3年現在地に遷座。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7205443