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久礼八幡宮
【くれはちまんぐう】


高岡郡中土佐町久礼にある神社。旧県社。祭神は応神天皇・神功皇后・比売大神・湍津姫神・市杵島姫神。久礼湾に臨む地に鎮座し,「南路志」は「宇佐八幡・正八幡相殿」と記す。宇佐八幡はもと上ノ加江村(現中土佐町)の産土神であったが,久礼に「飛光」して川端(川崎か)に鎮座したものをのち遷座したという。正八幡は応永年間に久礼城主佐竹氏が関東から勧請したものと伝える。創立の年代・事情については宝永4年の大変で記録が流失し定かでない。社蔵の鰐口銘に明徳3年とあり,これが当社に寄進されたものであれば,創建はそれ以前になる。佐竹氏の久礼来住は鎌倉期後半とみられるので,鎌倉末期か室町初期には,何らかの形で八幡神を祀っていたと思われるが,現在地への鎮座時期を知る資料に欠ける。現社殿は江戸末期の建立といわれ,簡素ななかに力強い作風がみられ,仕上げは丁寧である。天正16年の久礼分地検帳に神田などは見えるが,宮床の記載はない。別当寺は慶長以前は定光寺であったが退転し,慶長年間から真言宗の八幡山量寿院東林寺が勤めたが(南路志),明治4年廃寺。明治5年郷社に列し,昭和3年県社となる。旧暦8月13~15日の秋の例大祭は,土佐三大祭の1つで,大勢の参拝者でにぎわう。頭屋はホウドウ(奉堂の字をあてる)様を祀るホウドウ地と呼ばれる聖地を所有する家が勤め,本頭とそれを補佐する脇頭が組み合わされている。頭屋は久礼・上ノ加江・安和(現須崎市)の氏子居住地を南組・中組・北組に分け,各々の頭屋が定まっていたが,現在は安和が抜けている。祭礼行事は旧暦8月1日の奉堂立てといわれる御幣を先端に飾ったホウドウと称する十数mの竹を,奉堂地に立てることから始まる。クライマックスは13日夜半から14日未明にかけての御神穀祭で,長さ約3mの神灯(大松明)を先導に神饌がとどけられ,一夜酒が醸され献納される。14日に御田植式があり,15日の御神幸で行事は終わる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7205477