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佐喜浜八幡宮
【さきはまはちまんぐう】


室戸市佐喜浜町宮ノ上にある神社。旧郷社。祭神は応神天皇。佐喜浜川河口の左岸,根丸集落に位置する。八幡宮由来記によると,御正体が入木村と根丸村の間の海に浮かんでいるのを住民が見付けて拾いあげ,あちこち持ち回った末,神意によって現在地に安置したとある(南路志)。「木屑」所収の棟札によれば,天福元年6月に入木の住人乗俊が八幡宮宝殿を再興し,京都より八幡神を勧請している。同年12月には藤原近俊が法華経ほかの諸経典を施入し(藤原近俊願文/脱漏),延元3年閏7月にも僧朝円が金泥法華経を施入している(崎浜村八幡社経筥銘/脱漏)。また,正慶元年10月1日銘の鰐口から,沙門円真の勧進が行われたことがわかる(崎浜村八幡宮鰐口銘/古文叢)。現在平安後期のものを含む紺紙金泥法華経の断簡と鰐口が伝存する。その後,享禄3年の再興,天文23年の上棟遷宮(崎浜村八幡宮棟札/古文叢),天正12(13か)乙酉年の葺替遷宮などがあった(南路志)。天文23年の棟札に「別当談議所覚彫衆僧宝珠院同安勝寺」とあり,彼らによって上棟遷宮が行われたことがわかる。談議所(現大日寺,室戸市佐喜浜町)は近世末まで別当を勤めた。天正12年の遷宮の際の導師は,金剛頂寺(現室戸市元)の僧栄範,安勝寺(現室戸市佐喜浜町入木)の賢識,阿弥陀寺(現室戸市)の乗俊で,勧進は能満寺の尭秀らが行った。天正17年の佐喜浜村地検帳に八幡領4町弱が見えるが,そのうちかなりの部分を8月15日(現在は10月15日)の神事田が占める。祭礼は,前日に別当が神輿への神遷を執行し,当日は神子らが神うたいをしながら浜宮まで3往復の神輿渡御を行う。そのほか,佐喜浜浦の若者組より獅子舞・引船・俄などが出る。天保年間に大坂から伝えられたという俄は,4組の若者組がそれぞれ出す団尻を楽屋として,その時々の話題を台本に書き,ぼて鬘で演じるもので,俄の古い形式を踏襲しつつ,現代的話題をも交えており,上方文化との交流を知ることができる(安政4年佐喜浜郷浦御改正廉書指出写/松野氏所蔵文書)。江戸期は社殿が2間四方,籠所が2間半に5間の広さであった(南路志)。明治5年郷社に列格。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7205843