下田
【しもだ】

旧国名:土佐
渡川(四万十(しまんと)川)の河口左岸に位置する。中村の中心地から7kmほど南にあたり,河口部には江戸期に砂の堆積によって島がつくられ,青砂(あおさ)島と称されたが,現在は陸続きとなり,水戸(みと)と呼ばれている。一条教房が応仁2年9月,京都の兵乱を避けて土佐中村に下向して以後,一条氏の中心地として栄えた中村の外港の役割をつとめた。甲浦(かんのうら)・浦戸・須崎などと並んで土佐の重要な港で,一条氏による上方との通商港となり,日明貿易船の寄港地ともなった。「唐船」の来航については,「大乗院寺社雑事記」文明15年12月12日条に,大内氏の勢力下である長門下関の通行が不可能なため,「土佐幡多」の港から「唐」に進発したと記され,「土佐幡多」の港は当地とみられる。
【下田村(中世)】 織豊期に見える村名。
【下田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下田村(近代)】 明治22年~昭和2年の幡多郡の自治体名。
【下田町(近代)】 昭和2~29年の幡多郡の自治体名。
【下田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7206044 |





