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禅師峯寺
【ぜんじぶじ】


南国市十市(とおち)にある寺。真言宗豊山派。八葉山求聞持院と号す。本尊は十一面観音菩薩。四国霊場八十八か所第32番札所で,御詠歌は「静かなるわがみなもとの禅師峯寺うかぶ心は法の早船」。十市の西南の峯山山頂付近に位置し,俗に峯寺という。「南路志」は当寺の景観を「当山八経文に説く補陀洛山に似て巌南海に聳へて経嶮して巌大小となく皆南方無垢の瑞応を現せりとかや」と記す。「土佐州郡志」によれば,空海の創建による勅願寺で,空海作の十一面観音を本尊とするという。開創後の寺歴は未詳であるが,鎌倉期作の木造金剛力士立像2体(国重文),鎌倉末期開板と推定される板本大随求陀羅尼を所蔵。金剛力士像の頸部の銘より正応4年仏師定明の造立とわかる。伝来は未詳であるが,「大日寺院主権律師教成徳治三年四月十五日」在銘の梵鐘も伝存する。天正15年の十市郷地検帳に「峯観音 一所本堂面三間奥五間〈東ニ鎮守 西太師堂〉仁王堂」とあり,本坊・光明院のほか脇坊として南坊・北坊・成竜坊が見える。江戸期,藩主山内氏の崇敬を受ける。藩主の出航時は必ず当本尊に航海安全を祈願したという。寺内に本堂・仁王門・大師堂,塔頭の北坊・光明寺,護摩堂,山王権現,八幡宮などがあった(土佐州郡志)。「南路志」は光明寺を「当山草創最初之寺」と記す。寺領20石,京都醍醐寺報恩院末であった(南路志)。明治42年金剛福寺(現土佐清水市)住職補陀落海雲の弟子天俊が当寺の眼下に広がる海に入水往生した。天俊は明治初年の排仏毀釈で衰退した土佐の仏教界に復興の気運を起こした僧であるが,この入水は補陀落渡海と考えられている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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