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高岡神社
【たかおかじんじゃ】


高岡郡窪川町仕出原にある神社。旧県社。藤居山麓に位置する。かつての仁井田荘にあり,仁井田明神・仁井田五社・五社大明神などともいわれた。それは社殿が五殿あるのに由来する。五社は東から東大宮・今大神・中宮・西今宮・聖宮(森宮)で,祭神は順に大日本根子彦太邇命,磯城細姫命,大山祇命と吉備彦狭島命,伊予二名洲小千命,伊予島天狭貫命。天正17年の仁井田之郷地検帳は大宮・今大宮・中宮・今宮・森之宮の宮床を記す。由来には諸説があるが,一説に伊予の河野氏の子孫という玉澄が,祖神を祀ったのに始まるという。もと一社であったが,空海が四国霊場八十八か所の1つとして社のそばに神宮寺の真言宗福円満寺を建てたとき,五社に分けたというがいずれも確かな資料があるわけではない。当社の神像のなかに鎌倉期のものと思われるものがあり,室町期の黒釉瀬戸,さらに同時期と思われる獅子頭が伝わることから,むしろ平安末期か鎌倉期の創建とみるのが妥当であろう。「南路志」は東大宮に銅矛,中宮に銅矛3本と嘉暦3年銘の鰐口,聖宮に明徳8年銘の鰐口が伝わること,東大宮は東宗澄,今大神は西宗勝,中宮は窪川宣秋,西今宮は西原貞清,聖宮は志和宗茂の支配であったことを記し,仁井田五人衆と当社の深い関係を示唆している。仁井田之郷地検帳によると,宮内村から久礼村(現中土佐町)まで神田が散在していて,神主領をあわせると25町余に達し,そのほとんどが蹉跎分(金剛福寺領)なので,金剛福寺の支配を受けていたものかと思われる。慶安5年2代藩主山内忠義が中宮の本殿・舞殿・横殿を再建したのをはじめ,江戸期を通じて藩による修造事業が行われたことが,現存の棟札で知られる。神宮寺は福円満寺のあとを継いだ新義真言宗の岩本寺(現窪川町茂串町)へと変わった(南路志)。明治元年高岡神社と改称し,同5年県社に列格。弥生時代の銅矛が伝存するほか,社前に承応2年窪川土居付家老山内氏の寄進した御神灯がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7206468